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京阪三条駅が地上にあった頃、鴨川べりの懐かしい風景

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京阪三条駅が地上にあった頃、鴨川べりの懐かしい風景

 

ちなみにこんな動画も上げています(^^)/

3日間で近鉄全線乗りつぶしの旅の様子です。

現在では京阪電車の京都市内線は地下を走りそのまま鴨東線に乗り入れ出町柳まで直通運転していますが。1987(昭和62年)までは七条~三条間は鴨川べりを走る趣のある路線でした。

 

今回はその当時の様子を最後の春となった地下化直前の写真を紹介します。

撮影日は土曜日の午後です。父のミノルタα7000で撮影しました。何分写真など不慣れで構図やピントなどかなり見苦しいモノですが資料的価値もあるかもと思い公開させて頂きます。

 

 

 

三条駅に入線する「びわ湖ミシガン連絡特急」

 

 

三条駅2番線に入線する3000系テレビカー副標識は「ミシガン」ですね。確か駅の放送では「びわこミシガン連絡、京都三条行特急です」とアナウンスしていたけど実際に大阪から京阪特急でミシガンに乗りに行く人がどれくらいいたのか・・?

信号機に取り付けてある「入換」や「第一出発」の標識の手書き文字が時代を表してますね。

この頃の特急は北浜・天満橋・京橋を発車すると京都の七条までノンストップでした。

 

 

 

一度行ってみたい京阪グループのホテルです。 天然温泉もあります。

 

 

ホームの下から鴨川が

三条駅ホームの様子です。

写真左端の4番線のホームの下には鴨川が見えています。

2番線には特急が停車中ですが改札や京津線から3番線に移動する際は2番線の特急を通り抜けて移動できるようになっていました。

現在で言うと阪神尼崎駅のような感じですね。

阪神尼崎はこんな様子です。

ホームに置かれた角板や丸板(標識)が懐かしいです。

三条駅は鴨川より(川側)より4番線、3番線番、2番線で京津線とつながっていた1番線はすでに蓋をされて通路になっていました。そして山側に京津線乗り場がありました。工事中と言うこともありましたが薄暗くて人が多い駅でした。

車内整理中のテレビカー

 

2番線に到着直後で車内整理中の3000系特急です。

当時の3000系特急は3両編成+3両または4両で計6両または7両編成で運転されていました。

深夜など乗客が少ない時は分割して3両編成で運転されることもありました。

酔っぱらいの乗客が3両編成の特急で空席を探し7両のつもりで前の車両に行こうと乗務員室の扉を開けることが時々あったと先輩から聞いたことがあります。(京阪は乗務員室の扉に鍵がかからない為あり得る話だなと思いました)

3000系テレビカーの鳩マーク

余談ですがこの3000系の鳩マーク、これは列車種別標識のため特急が淀屋橋で分割されると片方は回送として入庫するのですが、その際にこの鳩マークは隠さなければなりません。乗務員室に積んである通称「鳩隠し」と言う3000系の車体と同じ塗分けの鉄板を鳩マークの上にかぶせるのですが私も数回行いましたが固定金具に引っ掛けるのがとても大変でした。

中にはうまく固定できず手を滑らして線路上に落とした乗務員もいたそうです。その後登場した8000系はスイッチ一つで鳩マークの上にカバーが降りてくる構造になりました。

宇治行き各駅停車

 

写真は4番線に停車中の各駅停車淀屋橋行きですが、この当時は宇治線の各駅停車が三条駅まで乗り入れていました。そのため乗り慣れない乗客の誤乗も良くありました。

春の催し「ドラゴンボール」

当時駅構内にあった店舗や2番線の特急、3番線の急行が写っています。

店舗ではお土産を買い求める人が沢山写っています。

3番線の改造2200系の急行に取り付けられている副標識は枚方パークの春の催し「ドラゴンボールz」ですね。当時は春は子ども向けのアニメをテーマにした催し秋は大河ドラマなどをテーマにした「枚方大菊人形」が行われていました。

見事な桜

 

 

2番線ホーム端から撮った桜の様子です。



このように三条から七条駅間では沿線に桜が沢山ありました。

窓を開けていると桜の花びらが車内に舞い込んでくることも珍しくありませんでした。

儲からなかった京阪交通社

駅前の交差点の名前は三条京阪ですがバックに写っている駅舎は京阪三条駅です。

 

いかにも仮駅舎風の建物ですが少し傾けてスピード感を強調している「京阪特急」のロゴが時代を表しています。

そして京阪交通社の三条営業所も写っています。この京阪交通社は旅行業と駅構内の売店を運営していました。肝心の旅行業では利益が出ず売店の利益で補っていたと聞いたことがあります。

 

賑やかな四条駅

土曜日の午後、四条駅の一コマです。

ホームにはたくさんの高校生がいますが現在では50歳近くになっているでしょうね。

今まさに発車合図の手笛を吹いている車掌さんの制服は今から3代前の緑の三つボタンスーツ+赤のネクタイですね。

鴨川に張り出したホーム

四条駅の上りホームの様子です。

鴨川上にホームが張り出しています。

この駅で勤務していた同期が「改札室は川の上」と言ってましたが本当かどうか今では確認できません。

混雑する踏切り

四条駅の踏切の様子です。

「都をどり」の看板と着物姿の女性が何人か写っていますね。髪型やファッションが当時を物語っています。

 

踏切りを通過する更新前の1900系です。

もしかしたら宇治発の列車かもしれません。この踏切は「交通係」(保安要員)が配置されていたと記憶しています。交通係は列車区の所属で京都地下線開通後は中書島列車区から寝屋川列車区に転勤になった人が多くいました。

5扉急行

これも四条駅付近と思いますが。

未更新の2200系と5000系の上り急行の離合シーンです。

5000系には急行の標識とドラゴンボールの副標識が見えます。この当時は5000系が日中の急行運用に入ることもありました(3扉で)話は変わりますがこの5000系の5扉の威力はすさまじく車掌として朝ラッシュ時に5000系が充当された列車では驚くくらい乗降はスムーズだったのを覚えています。

各停しか停車しない五条駅

 

三条や四条駅に比べると若干寂しい感じのする五条駅です。

当時のダイヤでは淀駅から三条駅間では準急の運転はなくこの駅に停車するのは本線と宇治線直通の各駅停車のみでした。

通学客の多かった七条駅

七条駅も五条に比べると乗降客はありましたが若干寂しい雰囲気の駅でした。

三十三間堂と京都女子高校、通称「京女」の最寄り駅で通学時間帯は京都のお嬢さんたちで華やかな駅でした。

 

踏切を通過する改造2200系の急行です。

長期にわたって改造されたため様々なバリエーションがありました。外観では標識等が骸骨タイプだったり写真のように2灯式だったり乗務員関係では乗務員室の暖房が車掌側も運転士側も温風ヒーターで快適に乗務できた車両や温風は車掌側のみで運転士側は電熱タイプで寒かったり、様々なタイプがありました。

春の夕暮れ

 

 

 

陽も傾き少し肌寒くなってきた夕暮れ、最後に取った写真2枚です。

このあとどのような経路で帰宅したか記憶にありませんが充実感と寂しさを胸に帰宅したと思います。

最後に

この後京都地下線が開通し七条~三条間で鴨川べりを走る京阪電車の姿は過去のモノとなりました。

しかし新たに開通した京都地下線もその1週間後に豪雨で浸水することになってしまうのですが・・。

 

こちらは国鉄貨物列車起死回生の切り札として登場したコキ10000系の紹介です。

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コキ10000系 「特別」な雰囲気を持つ貨車【 フレートライナーの面影】

最後までご覧頂きありがとうございます。

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